来 歴


春の疾風


それは黄色い大地を
強靭な後足でけって
たちまち数千メートルの高みへとびあがる
おびただしい土ほこりの体積を
横なぐりに吹きつけ
万物を冬の呪詛から
ひとつひとつ解放して行く
ふり向きもせずちょっとした挨拶もしないで
まっすぐ前方へ向かって走って行く
どんな種類の厚意も拒絶して
確実に自分の役割をはたしてゆく
まともに目をあけて見ることのできない
たくましい正体が春なのか
いつもおずおずと
たちおくれて歩き
傍観者としかよばれなかった私にとって
こんなに痛烈な訣別
りっぱな出発に立ち会ったのは
はじめてのことだ
人間のばあい
出発がいつもりっぱだとは
決して言いきれない
最初の訣別
私に親をえらぶことができただろうか
母親のからだの中の
くらくて狭い沼沢地から飛びたち
母親の胸のあいだの
白くてひろい山と谷に横たわって
かすかに息づいていたまっさおな私の生
肩のあたりをたたかれて
泣きやむと同時に
やさしく寝かしつけられてしまう
最初の母親との訣別が
最後の自分との訣別に
すっかり似ていると
その頃思う知恵もなかったのだ
こうして私は出発した
みごとに所有されたままで

さあだから
もう一度出発しよう
乳くさい自然のふところを離れて
自分で未来を選びに行こう
えたいの知れない
群衆のひしめきあう都会へ
制服を持たない敵と味方を
私の目で見わけに
群衆のひとりになって行こう
前よりももっと悪くなるかもしれない
覚悟もある
やがて次の季節には
寝汗のようにじわじわとわきあがり
蔓延する疲労ばかりを所有するに違いない
予想もある
それにここからは
向こうに宙づりにされた
数えきれない未来が見えすぎる

さあだから
最後にもう一度出発しよう
群衆の中のひとりから
仲間のひとりになって行こう
前よりももっとさびしいかもしれない
未来を選ぶために
私の存在を賭けて行こう
そして最後に記憶しよう
私の出発を証明するために
報告書の新しいページを開いて
一時代の過ぎて行くのは
疾風の速度に似ていると書きつけて
空の高いところには
またしても今日
苛酷な追跡者が通過しようとして
太平洋をわたり
関東平野を北へ向かって
大挙おし寄せる
新しい春の風の音が聞こえている

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